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虐待による改名・改姓で重視したこと

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幼少期に受けた虐待は、大人になってからも後遺症として影響を及ぼすことが知られています。
私は親からの虐待が原因で、戸籍の氏名を変更しました。
同じような境遇にいる同士たちに向けて、新しい氏名をどのように決めたのか、私なりの基準や考え方を紹介します。

改名・改姓に正解はありませんが、「こんな決め方でもいいんだ」「こんなふうに新しい名前をつけた人もいるんだ」と、少しでも参考にしていただければ幸いです。

改名で重視したこと

  • 読みにくい名前(元の名前のニュアンスを残す)
  • 生まれた季節や時間にちなんだ名前
  • 中性的な響き・漢字
  • 名前の響きに違和感がないか
  • 同世代にいそうな名前

読みにくい名前

私の場合、元の名前は好きだったのでニュアンスを残しました。
元の名前はいわゆるキラキラネームの先駆けのような当て字でした。
子供の頃から名前の読みを聞かれたり、漢字を間違われるのが当たり前だったのですが、それがきっかけで相手と話す機会ができるのが嬉しく、マイナスの感情はありませんでした。
新しい名前を考える際も、誰でも読めて間違えない名前は自分の名前として違和感があったので、敢えて読みにくく漢字を間違えやすい名前にしました。

生まれた季節や時間にちなんだ名前

おそらくこの先、親が生きている限り、私が地元に戻ることはありません。
万が一見つかってもすぐに逃げられるように、一ヶ所に留まらず土地を転々とするつもりです。
故郷に触れることがない代わりに、名前にルーツを込めました。
この先どこに行っても、過去を思い返して虚しくなっても、私のルーツはいつでも名前に書いてあります。余分なものは未来に持ち越さずにいてほしいです。

中性的な響き・漢字

受けた虐待の内容によっては、性が絡むことがありますね。
この性別でなければ被害に遭わずに済んだんじゃないかと考えたり、
この性別なのに抵抗できなかったと自分を責めたり、
男女問わず、虐待の中でも打ち明けにくい部類です。
私は自分の性別に対する違和感が拭えなくなりました。
新しい名前はパッと見で性別がわかりにくいものにしています(ユウキとかヒナタみたいに、どちらとも取れる名前です)。

名前の響きに違和感がないか

せっかく新しい名前を決めても、いまいちなじめず、違和感を持ち続けて後悔するのは避けたいところ。
名乗るとき、呼ばれるとき、違和感がないか、しっくりくるか、ここは慎重に確認しました。

通称名は途中で変えても大丈夫なので、もしも「やっぱり他の通称名に変えたい」と思ったら、その気持ちを優先してほしいです。
既に周囲に新しい名前を知らせている場合、申し訳なさや気まずさがあるかもしれませんが、改名するのは自分です。どうか自分の感覚や感情を大切にしてください。

同世代にいそうな名前

名前は年代によって流行り廃りがあります。その年代では珍しい名前をつけて悪目立ちをするのは本意ではないので、同年代に溶け込む名前にしました。

元の名前は好きでしたが、あまり他人と被らない名前だったので、実家から逃げ出した後も名前を頼りに仕事先がバレることがありました。
支援措置を受けて住所を隠しても、周囲の人間から居所が漏れてしまっては意味がありません。身を隠すには普通の名前が安全です。

改姓で重視したこと

  • 元の名字からかけ離れていること
  • 新しい名前とのバランスが良いか
  • 実在する名字か

元の名字からかけ離れていること

何を差し置いても、これだけは最優先に考えました。
加害者と同じ名字を名乗る屈辱は言うまでもなく、それによって引き起こされるフラッシュバックで日常生活に支障をきたすため、一切の片鱗も残さぬよう徹底的に元の名字の要素を排除しました。

例えば、元の名字が『佐藤』だとしたら、にんべんや草かんむりのつく漢字は却下、『さ』『と』『う』と読む漢字も却下、植物に関する漢字も却下です。

親や家、家族、親族を象徴する元の名字を今後の人生から抹消したかったので、ここは妥協せず貫いて本当に良かったです。

新しい名前とのバランスが良いか

私は新しい名前の方を先に決め、名字を後から考えました。
そのため、名前に使っている漢字とのイメージが合うか、読み方が被らないか、画数に偏りがないか等、名前との相性を考慮しました。

実在する名字か

名前と同じように名字も自由に作れるので、この世に一人だけの名字にすることも可能ですが、私は実在する名字を選びました。
前述の『同世代にいそうな名前』と同じ理由で、他にいないような珍しい名字をつけて悪目立ちするのを避けるためです。
親から逃げるために改姓するのに、新しい名字が目印となって居所を掴まれては元も子もありません。同姓が多ければ、そのぶん特定されにくくなります。

改名・改姓は貪欲になっていい

私が戸籍の改名・改姓を考え始めたとき、本当に変更できるのか不安でした。

少しでも裁判所に許可される可能性を上げたいと思うあまり、
「元の名前の読み方はそのままで、漢字を変えるだけなら認められやすいのか?」
「元の名前から一文字だけ変更するなら、改名が許可されやすかったりするのか?」
と考え、「こういう名前にしたい」という自分の希望は蔑ろにしていました。

名字については、通称を名乗っていいことも、改姓できることも知りませんでした。
改姓できると知ってからも、祖父母や親戚の名字しか使えないと思っていたので、自分で好きな名字を作っていいと知ったのは、だいぶ後になってからです。

今この記事を読んでいる同士のみなさんの中にも、かつての私と同じように、本当につけたい名前よりも変更が有利になりそうな名前で妥協しようとしていたり、名字の変更ができると知らずに諦めるしかないと思い込んでいる人もいるでしょう。

改名・改姓をしたいと思っても、周囲に知られることを恐れて一歩が踏み出せなかったり、自分で決めた氏名を名乗る自信が持てなかったりするのは、あなただけではありません。
思うように動けないでいる自分を、「本気度が足りないのではないか」と責めなくていいんです。
虐待を受け続ける中で、自分の選択に自信を持てなくなるのは普通のことです。

『自分の氏名で虐待の記憶がフラッシュバックしてしまう』という症状は、なかなか周りに理解されません。
加害者(親)のつけた名前や加害者と同じ名字を名乗らなければならない苦痛は、当事者でなければわからないものです。
自分の名を呼ばれるだけなのに、反射的に相手に怒りを覚えたり、とっさに身構えてしまう状態が一生続くのです。
「気にしなければいい」なんて無理があります。
生きていく上で、名前と個人は切り離せません。24時間365日、何年も何十年も、死ぬまで一瞬の隙もなく「気にしないでいる」ことなんて不可能です。

加害者から逃げ出して、支援措置を受けて通称名を名乗って暮らしていても、年に一度の継続申請では戸籍の氏名を書かなければなりません。
過去から自由になるための支援措置なのに、過去から自由になりきれない現実を、嫌でも自覚させられます。戸籍の氏名を書かざるを得ないという状況は、どんなに虐待を受けても自ら家に帰らざるを得なかった子供の頃の無力な状況そのものなのです。

改名・改姓をすることは、そういった苦しい過去を断ち切るためであり、自分を大切にする第一歩でもあると私は考えます。
顔色を伺い、感情を殺し、自分を粗末に扱うことしか許されずにいると、無意識のうちに改名・改姓でも本音を抑えて遠慮してしまいがちです。

でも大丈夫。

改名・改姓は貪欲になっていい!

元の名前と近い名前にしようが、全く違う名前にしようが、一文字でも字面が変わるなら同じことです。難易度に大差ありません。
だったら、変に遠慮するのも馬鹿らしいじゃないですか。つけたい名前があるならつけましょうよ。

冒頭でも言ったように、改名・改姓に正解はありません。
「こうした方が良い」という名前の決め方はたくさんありますが、自分がそれに従いたくなければ、従わなくていいんです。
〝好き〟を100%詰め込んでいいんです。

好きな漢字を組み合わせたり、好きな響きから考えたり、どんな決め方も自由です。
最終的に、裁判所から許可が下りるまで粘り続ければこっちのもの。
あの地獄の環境下を生き抜いた同士のみなさんなら、相当しぶといので問題ないですね。

一緒に乗り越えていきましょう。
応援しています。